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1860年1月13日、「咸臨丸 出航記念日」
投稿日 2021年1月13日 00:00:42 (今日は何の日ですか)
1860年1月13日、「咸臨丸 出航記念日」
・今日は、1,860(安政7)年1月13日、日米修好通商条約批准書交換のためにアメリカに派遣された幕府の使節団の護衛艦として、江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が品川を出航しました出航記念日。艦長は勝海舟氏で、乗員には福沢諭吉氏や中浜万次郎(ジョン万次郎)らがいた。
・軍艦「咸臨丸」は、全長163フィートの木造で3本のマストを持つ蒸気機関を備えた船だった。1857年 江戸幕府がオランダに発注・購入した軍艦で、原名ヤパン号です。洋式の軍艦としては、洋式のスクリューを装備する船としては初の軍艦だった。
・軍艦「咸臨丸」は、幕府の船として初めて太平洋を往復したことから名を知られている。幕府の練習艦として用いられた後、戊辰戦争に参加するものの、軍艦としての機能は他艦に劣り、運送船の役割を担っていた咸臨丸は新政府軍によって接収された。明治政府に接収された後、開拓使の輸送船となった。
・福沢諭吉氏の渡米は、このときに「奉行従者」という身分で咸臨丸に乗船していた。その時に同行した通訳がジョン・万次郎氏、本名中濱萬次郎氏だった。
・中濱萬次郎氏は、土佐の半農半漁の家に生まれ、14歳の時に漁の途中で遭難した。伊豆諸島の無人島鳥島に漂着し、143日間の生活をしていたがアメリカの捕鯨船に救助され、そのままアメリカに向かった。
・咸臨丸の一行は、アメリカ人水夫の助けを得ながらも太平洋を初めて横断し、同年2月26日にアメリカ西海岸のサンフランシスコに入港した。、現地の造船所などを視察した後、再び太平洋を横断し、同年5月5日に浦賀に帰着した。
・福沢諭吉氏が、この海外渡航をしたことから、西欧の事情を肌で感じ、「学問のすすめ」を始めとした著書を出すことになったといえる。
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